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プロフ、Twitterなどでコミュニケーションは「テレパシー」化
――先月もNHKの番組で取り上げられていたように、若者や子供は言葉が出なくなっている、と指摘されています。その原因の一つとしてケータイが挙げられていました。ケータイがもたらした、これから起きる変化をどのように予想されますか?
若者のケータイ文化の歴史(ここ10年程度)を観察すると、掲示板(2ちゃん、裏サイトなど)から始まり、ブログ→プロフ→リアル(Twitterなど)のような変化が見られます。これはネット利用の目的が、グループ内の外向的コミュニケーションツールから、個人同士の内向的コミュニケーションに移行していると見ることができます。つまり、若者たちにとって、ケータイネットは仮想社会だけでなく、アバター人格が存在する場所でもあるのです。アバター人格とは、「もう一人の自分」や「本人が本当の自分と認識しているネット上の人格」と私は定義しています。
文字情報はそれ自体では想像を膨らませる力があると思います。ウザイとかキモイというような単純な言葉でも、そこに具体的な自分の想いが込められていると錯覚することが簡単にできてしまいます。そんな単純な言葉を画面に並べ、さらに絵文字などでフォローすることで、自己表現の実現ができたと思い込むことも可能ではないでしょうか。これが先ほど紹介したプロフなど内向的なネット上のメディアで発信されることで、自分の意思表示ができた気分になった場合、それは同時に生身の体を使ったコミュニケーション(身体コミュニケーション)の必要性に疑問を感じるという課題を作り出すかもしれません。
あくまでこれは仮説ではありますが、以下のことを考えてみると、これからの私たちのコミュニケーションは、よりテレパシー的なものになっていくのではないかという気がします。当然「思い込み」という課題を抱えての話ですが…。
たとえば、プロフを挙げてみますと、言語力がまだ十分に訓練されていない子供たちは、自分の頭に思い描いた言葉を理論立てて説明することが苦手です。ですから「400字以内で自己紹介をしてください」と言われても表現が難しいと思います。しかし、プロフには無数の質問が用意されており、その質問が自分の頭の中にある言葉を引き出してくれるので、うまく自己紹介ができるのだと思います。しかもそれを友達に直接伝えられる。口で説明する必要もなく、赤外線通信でアドレス交換をすれば自己紹介が完了するのです。時間の節約、言葉の検索や理論的な表現など脳の活動も省エネ化されます。
次にTwitter(ツィッター)です。「つぶやく人」を意味するこのメディアは、今の自分の気分や思いついたことや行動を140字以内で投稿するもので、時系列ごとに自分の「つぶやき」を確認できるというものです。当然このメディアの目的は他人の「つぶやき」を観察しようというものです。一時期「りある」という遊びがプロフの中で発生していましたが、Twitterを意識したものではないかと思います。「りある」はプロフ同様、自分の内面の告白が主な目的と思われます。少ない言葉に思いを込めて、他者の「りある」をフィーリングで読み解くような行動は、言葉に頼らない新しいコミュニケーション感覚のようにも思えます。それがTwitterに引き継がれ、より多くのフィーリングをネットで共有するようになるのではと予測しています。もともとTwitterはリアルタイムに変化する人々の「今」を他者と共有するメディアで、災害やイベントなどの現場の情報をいち早く発信するなどの使われ方がされているようです。
また、携帯電話のサービス自体もこれからは変化するでしょう。ユーザーの求めに応じて情報を提供することが現在の携帯電話ですが、次世代携帯電話は、ユーザーの嗜好を分析し、ユーザーに合ったサービスを携帯電話からユーザーに紹介するようになるそうです。アンビエント社会(環境社会)とKDDIでは表現していますが、インターネットの情報網が自然と自分の行動を支援してくれるようになると、ネットを通じたコミュニケーションの質や方法は大きく変化する可能性もあります。
図形や絵柄、単語、返信タイミングなど、ある意味信号的な情報を駆使して「物言わずして心伝える」行動が若者の間に起こっているのではないでしょうか。「言わなくてもわかるでしょ?」という考えもあれば、はっきり言うことに躊躇していることの表れかもしれません。または、思ったことがうまく言葉として表現できず、感覚的に絵文字などで表現したものを、相手が勝手に想像して理解したつもりになる-なんてことも起きているかもしれません。それがわからなければ友達ではないという空気も存在するかもしれません。いずれにしても若者の間ではコミュニケーションとは意味の伝達だけでなく、思い込みによる自己満足と電子的な空気の読みまで拡大しているように思います。表情や音声などで行われていた感情伝達が、電子コミュニケーションに置き換えられたことで、コミュニケーションのあり方にも「進化」が起きたのかもしれません。
――では、子供のために教育の現場としては今後何が必要なのでしょうか?
大きく3点あると思います。
1)自己解決ができるユーザー教育
問題の本質を見抜き、自ら調べ、考え、結論を出せる思考力を養わせることです。そのためには、一方的な模範解答(ルールやマナー)の提示や記憶ではなく、問題の構造やルール設置の理由を考えさせるようにする工夫が大切です。例えば、「チェーンメールはなぜ作られるのか?」のような想像力、言語力、ユーモアを取り入れた議論を通じ、同時にチェーンメールの理解を深める工夫などが良いと思います。これは、国語や総合学習などで取り入れることが理想だと思います。
2)インターネットの理念についての教育
インターネット開発の歴史や、インターネットの構造を知り、活用方法や課題について議論を交わす。匿名性や情報伝達力、心理的影響、インターネットの理想像などの考えを身に付ける。小論文としてもいいテーマだと思うし、社会科歴史や公民に取り入れることも理想だと思います。
3)メディア学習
情報とメディアの理解を深め、「情報は作られるもの」「メディアは人を操作する」といった考えを持つこと。特に情報消費者の視点を身に付けさせ、他人のことよりまずは自分の意志をしっかり持つことを学習させることがポイントです。(日本文化にはそぐわない考え方ではありますが、インターネットは日本文化とは違った社会空間であることを認識する必要があると思います。)
この授業は技術科や総合学習、または文化祭のクラス発表テーマやクラブ活動として行うことも可能だと思います。
いずれの場合も高価なコンピューター室を使わずにできることです。先生方が技術に疎いのなら、なおさら得意分野で工夫をしてほしいと思います。
――小学校・中学校ではすでに情報教育が行われているものの、技術偏重の傾向にあります。
おそらく先生方も、教科書を作っている人自身もよく分からない、というのがあると思います。あと日本人の特徴と思うのですが、「道具を使うことが賢いことの証拠」という考えに固まってしまっているところがあります。だから、「ケータイを使いこなさないことが恥」となる。その発想があるとますます使うための努力・教育に偏りやすくなります。だから、そういう教育・マニュアルとなる。
しかし大事なのは哲学の部分だと思うのです。ネットとは何か、なぜ存在するのか、匿名は必要なのか、その理由、などを考える力が無いと、ネットというのは「社会」ですから、その社会を理解できない。子供たちはもちろんそんなにハイレベルではないですけど、子供たちなりに疑問を感じてその疑問について考えながら使っていく、という発想は、実効性が無いと言って片付けられてしまうのが今の日本社会なのかなと思います。
ボランティアの全国ネットワークを作りたい
――今後の活動については、他の団体さんとこの内容で取り組んだり、人員を増やしたりという計画は?
地域のPTAや自治体、ボランティアの協力を現在得ている状況ですが、今後はボランティアをさらに養成し、ボランティアを束ねるネットワーク組織を作りたいと考えています。
もちろん、認定については試験などを行おうと思いますが、ボランティアとは専門知識を伝えることではなく、一般人の声を届けることを目的としたいと思います。「私はこう思う」ということを共感してもらう。人々の模範になれるような存在を作り出す。これがボランティアのメリットだと私は思うのです。ですから認定試験もある程度の技術的単語や理論を加えて、あとは、「あなたはどう思いますか?」という質問にしてしまうつもりです。その考え方が、団体の考えに一致するかを見る、そんな試験にするつもりです。
でもこれはすぐに沢山の仲間を作ろうというものではありません。人をただ増やせばいいというわけではないですし、私の器量の範囲で少しずつ増やしていくことが確実だと思います。いま各県で自治体の支援を受ける形で講師の養成が進んでいます。彼らの活動も観察しながら、時に協力しながら、時代の変化と共に社会に欠けているものを加えていければいいですね。
(完)