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大人と同じ情報判断を求められる子供
情報過多で思考鈍化
――子供がケータイを持つことによる最も大きな弊害は?
根本的な課題として、経験学習では取り返しがつかないような事態を経験的に行っている点があります。生活環境の変化に順応していく子供たちを餌に、大人社会が勝手にメディアをばら撒き、小さいころに学ぶべきことが学べなくなってしまっています。
子供がケータイを持つことによる弊害は、大きく3点になります。
1) 情報判断の未熟さに起因するトラブルが起きること
(または、高度に発達した情報環境にユーザー教育が追いついていないこと)
誘拐や詐欺や成りすまし、イジメ、有害情報の閲覧など、一般に「子供を守る」というキャッチフレーズで言われている部分です。そもそも情報判断が未熟な未成年者に大人同然の情報判断を勝手に求めている社会がおかしいですね。チェーンメールが転送されると学校で指導が入るようですが、「やめなさい」とかそういう話しではなくて、それだけ判断が未熟なのだということをもっと重視して、そこから発生する判断ミスによる問題を予測して欲しいです。
子供たちは、何か新しい問題が発生しても、社会に認識されるまで何も言われない状況に立たされています。誘拐や暴力の被害が起きても、その原因を携帯電話によるものではなく、加害者のせいにしようとしたことで警告は遅れてしまったのではないでしょうか。原因がわからなければ水際で問題を防ぐことになり、結局何か事件がおきないと手が打てない。手を打とうにもその場しのぎであったり、わかりきった行動規範を促すものであったりと、学習性の乏しさが目立ちます。彼らは情報化社会という実験場におけるモルモットにされていると思います。
結局は教育もろくにできずに、技術革新をすんなり受け入れてしまった大人が、子供達を苦しめているのではないでしょうか。
2)依存や行動管理の徹底による思考力、自我の発育に影響が懸念されること
ただし、人格形成と携帯電話の関係は専門家の間では「それほど問題が無い」と考える傾向にあるようです。2000年ころによく言われた問題でしたが、その後すっかり消えてしまった背景には、そうした専門家の意見が影響している可能性があるのかもしれません。または、ルールやマナーで十分だと思っているのかもしれません。他者の目を気にしやすい日本人には、恥をかかないような行動規範を理解させることは、文化的にも理に適っていると思います。
もしそういう考えでこの問題を片付けようとしているとしたら、将来的に大きな課題を作ってしまうかもしれません。先に紹介した子供を狙う事件などわかりやすい問題をメディアに指摘されることで、多くの人は不安を感じ、救いを求めます。その救いに応えるのもまたケータイなのです。実に不思議なことです。問題の元凶を使って問題解決を試みる。すると何が起きるかと言えば、無理な安全対策です。地域社会の力や親子の信頼関係に頼らず、GPSを使って各家庭が直接わが子を監視するとか、誘拐に不安を感じケータイを持たせるとか、実効性が薄いにも関わらずそうした行動が保護者から自発的に生まれていることが怖いことだと思います。ケータイで連絡が取れることを安心安全と考えることで、ますます子供達にケータイを持たせ続けるようになります。そのため企業はキッズケータイに面白いサービスを次々と投入し、ケータイ依存状況を作りやすくします。結局持たせることが安全という空気の中で、人格や生活の変化などは抹殺されるのかもしれません。
子供達にケータイを持たせる背景には、情報が伝わることが便利、安心、安全、と良い事尽くめの報道に従ってしまっている消費者の課題があると思います。子供たちは愛情による見守りでは無く、機械によって監視され、管理されるのです。いずれこの動きは親子だけでなく、恋人同士や友達同士の行動監視にも拡大することでしょう。
情報が届かなかったからこそ思いやりが生まれ、色々と考えながら行動することが求められました。しかし、情報が届けば相手の状況をいろいろと考える必要もなく、自然とお互いに無関心になっていくのではないでしょうか。次の世代、信頼より確認が重視される社会を常識と思ってしまい、思いやりや対人関係スキルに欠ける子供が増えることが心配です。
また、情報過多は思考・判断を鈍らせることもあります。毎日のように不審者情報が届くと、いずれ気にしなくなるように、深く考えずに情報を処理することが遊びや学習にも現れると思います。そして考えるプロセスが作れなくなる可能性もあるのではないでしょうか。
3)自由度のあまりにも高い子育て環境
我慢をしない、失敗を恐れる、すぐにキレる、ワガママになる、苦労を知らずに育つ
我慢や感情を抑える経験は前頭連合野の発達に必要な要素と言われています。逆にこのような経験が欠けると、すぐにキレる子になる可能性があるようです。仮に脳科学的にどうであれ、苦労や失敗経験は成功への鍵であることは歴史が証明した事実だと思いますが、そうした経験が奪われてしまっている現在の子供たちはかわいそうにも思います。スパルタ的な子育てがいいとは言いませんが、喜怒哀楽のバランスは心の発育には大切だと思います。喜怒哀楽の中から都合のいい部分だけを抜き取ろうとしているのが現代社会なのかもしれません。辛い思いや難しいこと、心配、不安などを駆除しようと利便性を追求しようとしてはいないでしょうか。自己実現を求める志があれば確かに便利な道具ですが、まだその域に達していない思春期の子供達には、逆に努力の空しさや希望を見えなくさせてしまうような作用があるかもしれません。
――先ほどの「ケータイの人格形成への影響」についてですが、当時と現在では全く状況が違います。今はこの研究はされていないのでしょうか?
私も探してはいるのですが…。時々、テレビのインタビューで、たとえば心理学の専門家が部分的に指摘することはありますね。「言語力が低下する」というこの間の「クローズアップ現代」でも取り上げられるなど、そういう形での話はあります。私が知らないだけかもしれませんが、携帯電話利用による問題としては、それほど大きな問題としては見られていないような気がします。それよりは「ケータイを使って便利で楽しい生活を送りましょう」だとか「ケータイで安心安全」と言われれば、人格形成など難しい問題は見えなくなるでしょう。
――もっと追求して明確に証明していくのは難しいのでしょうか?
日本人の怖いところは、のど元を過ぎると熱さを忘れてしまうことです。今はテレビの問題についてはもう何も言いませんよね。テレビゲームについても、流行り始めた頃の騒ぎはもうありません。時代に流されると、いつの間にか問題もうやむやにされる、そうした文化的なものが気になるところです。ましてや近年のメディアの進化は私たちの理解を超えるスピードで進化しています。一つのことに時間をかけて理解する余裕が少ないのも問題だと思います。
これが海外だと、色々な意見、それこそ極端な意見までたくさん見られますし、そういう人たちが今でも研究を続けているのです。ところが日本では、たとえば「ノーテレビデー」がありますが、あれをもう少しメジャーなものとして継続できればいいのですが、そうしたものがどんどん消されていっています。時代が変わると「それはもう古い」と片付けれてしまうような風習があると思います。
未整備な情報教育、大人の責任追及しない法規制
――教壇に立つ先生の意識はどうなのでしょうか?
授業準備や部活動、生徒指導に追われる学校現場は閉鎖的な社会にあって、さらに孤立した場所だと思います。保護者からのクレームやいじめ問題の対応の変化などにより、知識面だけでなく心の成長にも関与している学校現場では、子供たちのネット利用状況や校外での子供たちの様子は見えていません(見る時間も余裕もありません)。問題が起こらないことを祈り、起きた時には限定的な指導を繰り返すのが精一杯だと思います。
講演ではよく「最新情報」や「対処方法」を知りたがる先生がいますが、その背景にもこうした日々の職場事情が絡んでいるのかもしれません。文科省や専門家のマニュアルは事例紹介が中心です。具体的な問題(リスク)を知って、使わせないように制限を掛けるように仕向けることが目的ではないかと思います。様々な課題に具体的に対処する魔法のマニュアルなど今は存在すらしないということも理解していただき、教育方法や生徒指導方法の再検討が求められていると思います。(具体的には(下)で紹介します。)
また、大学時代に学ばなかった新しい事象であるインターネットについて学習する場が無く、特に40代後半以上の先生方は電子メディアに否定的であるので、さらに子供たちと距離が離れてしまいます。文科省でも「いじめが起きているから学校へのケータイ持ち込み禁止」など現状把握の未熟さを露呈する発言がでており、情報モラル教育の具体案も十分に提示できていません。授業時間の確保や教員の指導、さらに中立性が認められるような学習資料の不足など、現在の教育現場は情報教育の体制も準備すら取れていないのが実情だと思います。
しかし研修を積んでいる時間的余裕はありません。いつ出現するかわからない携帯電話問題に直面しなければいけません。生徒が起こしたネット問題は学校の責任と思っているからです。ですからなおのこと、即効性が期待される対処療法型の指導や、ルールやマナーなど「本音と建前」を教え込む指導をやってしまうのだと思います。現状を見れば仕方のない行為かもしれませんが、いつまでも同じ手は使えません。これからが本当の情報化社会なのですから。
――行政の対応はどう思いますか?
法規制で言えば、所持の禁止や書き込みの禁止など、あまりにストレートな発想が多く、国民に責任を自覚させ、自発的な行動を促す点が欠けていると思います。特に、ケータイ問題については大人社会の責任追及が十分にされておらず、子供を直接処罰するような傾向に傾いていることが心配です。加害者の責任追及が大事であることはわかっているのですが、問題は誰が加害者なのかを明確にできていないような気がします。直接問題に関与した人ばかりに目を向けてしまい、事件が起きる前に打つべき対策が取れないでいます。
たとえば、判断力が備わっていない未成年者による問題を、判断の未熟な子供の責任と見るのではなく、それ以前に保護者の保護責任と考えてみてはいかがでしょうか?また、いじめ問題を見れば、プロバイダー責任制限法で守られてしまっている加害者(不適切な情報の発信者)とそれによる被害者が民事的に解決できるよう仲介する第三者機関の設置はできないでしょうか?有害情報の閲覧が懸念されるのであれば大人社会の健全化を含めた規制を提案し、大人の姿勢を見せてほしいものです。
情報不足の子育て現場
――では、親の意識の現状をどう見ていますか?
親にとって子供にケータイを渡すことは、猫に鈴を付けるようなもの。塾の送り迎えや居場所の確認など親としては子供を管理しやすく、安心感を得やすい道具と言えます。自分自身がケータイに溺れている親から見て、子供のケータイ利用はさほど気にならず、そのため注意も特にしない-そんな親が増えているように思えます。
事件や経済的問題は分かりやすいですが、それ以外の行動は変化が見えにくく、社会ぐるみで「ケータイ=便利な道具」と言われてしまえば、まだ社会で言われていない課題に目を向けることも難しいことでしょう。一般にはネットイジメや学業成績程度にしか問題意識を向けていないと思います。さらにネットイジメの場合は加害者の責任追及が問題解決と考える傾向が高く、そのためネットイジメ問題は加害者がいる学校に指導を任せるようになります。そうすれば、何を心配する必要があるのかと考える親もいることでしょう。
そもそも「教育」を「詰め込むもの」「暗記するもの」と教わってしまっている現在の親世代から見て、「教わっていないことは分からない」と考えることは自然なことです。「プロフを知りましょう」、「子供のネット利用を監視しましょう」と言われても、興味が無いからわからない(子供のケータイ利用の監視は、子供向けTVアニメのキャラクターを親が覚えるようなものだと思います)。さらに子育て現場とかけ離れた極端なイジメや事件などの具体例を挙げられ「親子でしっかり話し合いましょう」という結論を専門家に言われても、一般の家庭で行動が起こせるはずがありません。ITに比較的明るい父親が子育てに関わっていないことが、さらに母親のストレスともなっていると思います。経済的な支えがあっても、子育てが母親にまかせっきりになりやすいので、母親としては子供に嫌われないよう意識してしまいやすいともいえます。結局手に入る情報はケータイ会社関連の資料であり、十分な理論を持てずに利便性を訴える子供とケータイ会社に負けてしまっている状況があると思います。加えて、今後はケータイと共に育った子供が親になり、授乳をしながらケータイという姿も増えてくるのではないかと心配です。
しかし、その一方で「ケータイの無い子育てがカッコいい」と言う親も登場するのではないかと思います。または、そのような流れが作れるような社会にしてみたいですね。結局これからの社会は情報伝達や物質的な格差は解消されたとしても、情報処理能力の格差は拡大し、子育て環境が二極化すると予想しています。ちなみに最近ある高校で行った携帯電話についての意識調査では、将来自分の子供に携帯電話を与える時期として「小学生から」と回答した生徒が10%程度でした。あまりに低い数値ですので建前として回答した可能性もありますが、少なからず期待も持っています。
――都会と田舎で地域差はあるのでしょうか?
インターネットは物理的な情報格差を解消するメディアとして早くから整備が進んできたので、地方と都市部の問題の質にそれほど違いはありません。ただ、田舎の場合は家出の傾向がやや高いのではないかと思います。都市部ではプチ家出ができますが、地方の場合はプチでは済みませんからね。また、小学校の場合は地域によって携帯電話の所持率に大きな差がありますが、中学・高校についてはそれほど差は無いと思います。ケータイ問題については、人口密度より、むしろ地域性が関係しているように思います。勝手な予想かもしれませんが、地域と学校の関係が携帯電話利用問題と比例しているように思えます。
――マスコミが与える影響については?
明らかに未成年者または高齢者を意識した携帯電話に関する報道は避けるべきだと思います。しかし、そのためにはマスコミ関係者の意識を変える必要があり、それはかなり骨の折れる作業です。ケータイ会社がスポンサーについていることから、マスコミにこの問題について改善を求めることはお門違いのような気もします。それよりは消費者の意識を高め、質の悪いマスコミ報道を無視することの方が、実効性が高いと思います。また有料テレビの普及による番組選択の拡大、それに伴う不良番組の撤退なども期待したいところです。
雑誌についても同じことです。現状では家庭で親の価値観を子供に教えることが効果的だと思います。内容が法的に問題が無いのであれば、あとはモラルの問題ですが、モラルを問うことは実に難しい問題です。海外ではマスコミを監視する倫理委員会が設置されているようです。情報の危険性に早くから取り組んでいたヨーロッパ諸国では、NPOやNGOによる検閲が義務化されている国もあります。しかし、その背景には主義主張を尊重する社会があり、宗教や政治団体などの存在も大きいと思います。そのような環境のない日本では、マスコミの質の低下は仕方が無いと思います。競争原理にかけて、賢い消費者が低レベルのマスコミを市場から消すことが、私たちにできることではないかと思います。またはBPOやCEROなどの活動範囲を拡大し、消費者を守る社会的な仕組みが必要ではないでしょうか。
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