ロジカルキット代表・下田太一氏に聞く(上)

親が責任持ち子供の「考える力」養成を

 日々進化を続けるインターネット・ケータイにより、誰もがどこでも情報を受発信できる時代になったものの、子供のケータイ利用に伴う問題行動・トラブルの多発から、家庭・教育現場は対応に追われている。「ケータイの危険性」や「フィルタリング」などが強調され、「ケータイ所持禁止」といった動きも見られる中、そうした従来とは違う視点から親・教師の意識改革を訴え、啓蒙活動を行っている下田太一・合同会社ロジカルキット代表に話を聞いた。

 

インターネットは能動的メディア

――活動を始める前は5年間アメリカに留学されていたとの事ですが、ご専門分野は?


練馬区の情報リテラシー講演会で講演する下田太一氏

 ビジネス分野を専門で学びました。ただ、アメリカ留学は学業の為ではなく、むしろ見聞を広めることが主な目的だったと考えています。アメリカ社会を肌で感じながら生活すること自体が大変有意義な勉強であり、私はアメリカ生活を通じて物事の考え方や人生観、コミュニケーションのあり方など、生きる力を学んだと思っております。

 この海外生活経験は、国際化の中において閉鎖的な文化を維持する日本社会を客観的に観察する眼を養えたと思います。特にインターネットにおいて自由の概念や責任の考え方など、日本社会に慢性的に不足している考えを持つことができたことは大きな収穫でした。この価値観が独自の講演スタイルに反映されていると思います。

――インターネット開発国、アメリカでの携帯電話・インターネット事情は? 日本との違いについて。

 アメリカ留学当時、私はインターネットは「受動的ではなく、能動的に活用するべきメディア」と直感的に理解しました。そもそもアメリカという国は、基本的に自己責任が重視され、子供の責任に関しては親が負うべき、親がきちんと教育すべきものと考えられています。法律上もそのような規則はありますがそれ以上に文化的な背景があります。

 携帯電話に関しては、メールを多用する日本と異なり通話重視の機能・料金プランが用意されています。アメリカでは「まず話す」傾向が強いことから通話中心になっているようです。私が当時使っていた携帯電話は月額49ドルで400分の無料通話時間がありましたし、夜間・週末は無料、などというサービスもありました。固定電話も無料通話や定額制が早くから存在していましたし、インターネットを(時間制限や公告掲示、利用者の所得制限などの制約はありますが)無料で利用できるようなインフラ整備も成されており、日本のようなインターネットもメールも何でもできる「ケータイ」自体、あまり必要が無かったと言えます。

 ですから、今日でもアメリカの携帯電話はまだシンプルで、ネットは機能に制限があり、日本ほど高機能でないものが多いのが実状です。最近iPhoneなどといった高機能携帯電話、いわゆる「スマートフォン」が伸びていますが、携帯電話とスマートフォンは住み分けが成されているようです。

 また、いわゆる「ケータイ中毒」は、全く無いということはありませんが、アメリカでは「自分の時間」というものをきちんと取る傾向にあり、「5分以内に返信しないといけない」などのような極端な例はありません。日本でこうしたことが起きるのは、もともと自己形成において他者依存の傾向が強い日本文化ならではの背景があると思います。

 

きっかけは家族が始めた「ねちずん村」

――ケータイ問題に取り組むようになったきっかけは?

 帰国後、家族が中心となって運営していた市民活動団体「ねちずん村」の手伝いを始めたことがきっかけでした。ビザの都合で帰国して休養を取っていた折、母が居間でケータイについて取り組んでいるのを見て、一緒にやってみないかと誘われたのが始まりです。

 ねちずん村は父が群馬大学で研究していた「子供とケータイ問題」の内容を易しく解説するチラシや出前講習会を行うボランティアサークルでした。当時の私は青少年のメディア問題についての理解は乏しく、問題意識というよりは、「知ったことを知らない人に伝える」ことをスローガンとしていた草の根的な啓発活動に興味があり、いつしか「ねちずん村」の運営を行うようになりました。

 はじめからこの活動をすることを目指していたわけではなく、成り行き任せの部分が当時は沢山ありました。気がついたら本業として活動していたという状況です。考えれば考えるほどメディアの問題性は興味をそそり、活動を通じて学習を積み、今日に至ります。

――日本での「ケータイ問題」が顕著になったと感じたのはいつごろから?

 私が具体的に意識するようになったのは2006年ころ。ケータイ問題自体はそれ以前から問題視されていたと思います。すでにポケベルの時代から高校生の非行行為と電子メディアが密接に関わるようになっていました。

 高校生がポケベルからケータイへシフトした最大の理由はE-メールの利用にあったと思います。公衆電話を使う必要が無く、違った事業者間での通信が可能になった文字コミュニケーションツールがケータイ・メールだったからです。援助交際はそのころ問題になっていましたし、掲示板も2ちゃんねるが流行っていたころにすでに問題は起きていました。ただ、メディアの報道が今のようにされていなかっただけだと思います。

 メディアが騒ぎ立てたのは2006年の夏以降だと思います。ちょうどブラックリスト方式のフィルタリングサービスを各社が提供し始めた直後です。

――啓蒙活動を始められたのはいつ頃から?

 2006年度からです。父の影響でねちずん村の名が全国で徐々に知られるようになり、講習依頼が増えたことが直接の理由だと思います。そのころはメディアについての考えも自分なりになんとなく持っていたので、当時ねちずん村が敬遠していた中学生対象の講習会をオリジナルプログラムで実施したことが始まりでした。

――「ロジカルキット」という会社を立ち上げ独立された理由は何ですか?

 現在の日本の携帯電話問題に対する考え方に疑問を持ったからです。くさい物には蓋をして、外見上問題が無いように振舞うことを善と考えやすい風習が日本にはあると思います。また、何かと責任を他者に擦り付けたがるのも問題ですね。ネット問題でよく言われる「悪い大人」と言う存在もその一つだと思います。「悪い大人」に責任を擦り付けて、そこから子供を守ろうと言えば、学校も家庭も企業も行政も自分が責任を追及されることが無いのです。

 たとえば、石川県の条例について言えば、重要なのはその背景です。努力義務にせよ、どういう目的でこの条例を作ったのか、と考えると、「とにかく蓋をしよう」という発想が強い。その発想自体には私は賛同できません。有害情報が問題であるなら、ケータイ云々の前に、まず街の中の有害情報を何とかしようと考えなければいけない。「コンビニから有害図書を撤去」などといった内容も含めてならともかく、この条例は、ただ有害情報の氾濫というより、これを言い訳にして、ケータイを子供たちに持たせないようにしようとする意図が見えます。「悪い大人から子供達を守る」と言えば有権者の理解も得やすいと考えたのかもしれません。だから罰則義務まで踏み込まなかったとも考えられます。「子供の携帯電話利用問題の責任を親に追及する」と言ってしまえば、新たな問題の火種を生みますし、行政や企業の責任を認めるわけにもいかない。そんな「大人の都合」がこの条例にはあるのではないかと思います。

 この他人任せの考え方を改めて、それぞれの立場が真剣に責任を背負う努力を求めるには、自分の立場はある程度明確にする必要があると判断しました。

――もっと根本的な問題を解決しなければならない、と。そういうところから新たな活動の場を開拓したのでしょうか。

 ここ最近流行りだした新しいネット問題対策方法に「モニタリング」と言うものがあります。裏サイトやプロフなど子供達自身による情報発信をつぶさに監視し、問題行動の芽を摘もうとする方法です。私が所属していた青少年メディア研究協会ではCISSと呼んでいます。また、ゲームサイトなどの運営側も自社サイトの健全化をアピールする意図も含め監視員の配置や悪口に当たるキーワードの検索機能などを充実させています。子供たちにネットを使わせないのはもう無理だ。だから、ネットの中で書かれている情報を監視して、何か問題が起きたら先回りして対処できるようにしようという考えが根底にあります。ある意味、大人が子供をコントロールする、周りを囲んで子供たちに好きに遊ばせるけど、飛び出さないように守ってあげる、という意図が感じられます。

 しかし、本来は使っている子供たち自身が飛び出さないようにする、という考えを持たなければならないはずです。これは将来、子供たちの次の世代まで続く話ですから、教育を施して、自制を利かせるための理論を子供たちが築いていく。このような教育的視点が必要だと思うのですが、その方向ではない。これらの目的は「監視ネット」の構築です。そういうネット自体は必要だとは思うのですが、私の考え方からすれば分野が違う。ある意味「住み分け」ですね。一方は警察のように監視しながら、問題が起きたら対処できるようにする。もう一方ではその間に教育を施して、子供たちに将来・ネット環境を考えさせる。良いとか悪いとかではなく、考え方の違いなのかなと思っています。

――それはある意味「理想論」ではないか、と言われるのでは?

 どちらも理想論なのです。たとえば監視するというのは、結局目に見えるようにするわけですから、見えたものしか信じないという欠点が出てきます。では、どこまで見えているのか? と言えば、誰もそれは分からないわけです。完璧なものは無いと思います。また、そもそも問題発言の有無や非行行為の制御だけが「安全なネット」を作るわけでもありません。先ほど紹介したように、「目に見える範囲で問題が無ければそれでいい」という日本社会の風習に囚われてはいけないと思います。

 そして、これら2つだけではなく、色々な考え方があると思います。それこそ「持たせない」ということも1つの考えであって良いわけですし、携帯会社が言うような指導方法、それも1つだと思います。画一的にしないで、色々な情報・手法を使って、それぞれをミックスさせていくこと、これが結果的に情報化社会を作っていくのではないかと思います。ですから、私の考えだけが全国に届けばそれで良いというわけではないと理解しています。それぞれの長所を活かしていくことが大切です。

 これまで、ケータイの利用頻度が高くなれば問題を起こしやすい、という考え方が学校でよく言われてきました。だから「使わせなければ安全になるのではないか」というのが学校側の立場です。それは確かに、調査してみても当てはまることで、ヘビーユーザーになるほど問題を起こしやすいという結果が出ています。

 その一方、携帯会社・通信業界は別の立場で、「使わせないわけにはいかないが、問題を起こさないようにする」という発想を訴え続けました。だから、学校側から見ればこの携帯会社側の考え方は受け入れられない、という対立が今までされてきたと思います。

 そこで私が考えていることとして、まず問題は2種類あるということを指摘したいと思います。一つは「自分から起こす問題」。もう一つは、「被害に遭う問題」です。

 ケータイを使わなければ問題が起きないのかというとそうではないですよね。ケータイを使わせない、教育を受けない、そのことによって、「無知」という問題を作っていきます。何も知らなければ、騙されやすく被害に遭いやすくなるという側面があります。

 では、ケータイを使えば問題が必ず起きるのか、と言うとそうでもなく、ケータイを使っていてもコントロールの利く子供は確かに存在しているのです。

 ですから、ケータイを使う・使わないは、良い悪いではなく、どちらも有りではないか。「自分はケータイは要らない」というのであればそれで良いし、使うなら問題を起こさないよう指導していく。このように、個人がそれぞれ自分の立場を考えて判断することが必要なのだと思います。

――個人個人がしっかり判断することが必要だとしても、現状、子供たちは振り回されてしまっています。

 その通りです。学校側は「ケータイを持たせるな」、雑誌などは「ケータイを使いましょう」と主張し、子供を振り回していますが、最終的に「私はこうする」という答えを作って欲しいと思っています。

 もちろん、子供たち自身が考え判断するのはとても難しいことです。だから、親が必要なのです。しかし、その親がまだしっかり判断できていないので、子供たちが振り回されるわけです。親がしっかりしていれば、少なくとも問題を起こさないような家庭はできるのではないかと思います。そのためにはやはり知識が不可欠です。そして、人格形成において家庭の役割は重要なので、「そういうことはやって欲しくない」「そういう子になって欲しくない」ということを含めてきちんと子育てをしていくことも大事だと考えています。そのために、子育て現場に対しメディア利用について自分で判断できるような情報を提供することが大切ではないかと思っています。

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<<CISSプロジェクトとは>>
 CISSは「Civil Instructor Support System(市民インストラクター支援システム)」の略称。青少年のネット利用を見守る大人の養成と、彼らによるネット利用監視体制のネットワーク化(情報共有化)を目的とする事業。RISTEX(社会技術研究開発センター)の研究プロジェクトの一つ「子供のネット遊び場の危険回避、予防システムの開発」(平成20年度採択、リーダー:下田博次・青少年メディア研究協会理事長)として開発が進められている。

 詳しくは、
同協会によるシステム紹介ページ
(http://www.ams.vg/instructor_ciss/index.html)

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